弁理士試験 合格体験記(前編)
| 1.はじめに | 2.初学のころ | 3.論文初期 | 4.多枝挑戦期(受験1回目) |
| 5.中だるみ期(受験2~4回目) | 6.再起・本格挑戦期(受験5回目) |

1.はじめに
 私が弁理士試験の勉強をはじめたのは、プラントメーカーで設計業務を行っていた頃である。もともと私は文系(経済学)出身であり、最初の就職先では特許とは全く無関係の事務系の仕事を担当していた。その後、プラントメーカーに転職してはじめて技術系の職業に就いた。当時、私は社会人2部学生として機械工学を勉強しており、昼間は会社での設計業務や現場への出張等で忙しく、夜間は10時頃まで大学の授業を受けるという、自分にしてはハードな生活を送っていた。
 そんな生活をおくる中で、自己の技術や能力をいかせる資格に興味を持つようになった。たまたま手にした書物で弁理士の資格を知り、詳しく調べているうちに「これはやりがいがある。ぜひ受験してみよう」と決意した。
2.初学のころ
 受験機関の説明会に参加して、教材や勉強方法について情報を集めた。最初は独学で法令集を読んでみたが、いままであまり法律に接したことがない自分にとって単独での法律解釈は困難を極めた。そこで、ある受験機関の初級講座を受講し、そこではじめて「条文の読み方」を教わった。これから勉強を開始される諸氏は、早い時期から優良な講座を受講されるとよいだろう。私はこの講座で一通り工業所有権法の体系を知ることができた。
3.論文初期
 平成8年当時は基本問題全盛の頃で、論文の講座では「レジュメの暗記が必要」と繰り返し説明された。その年に合格したばかりの予備校講師も異口同音にレジュメの暗記方法について講義していた。確かにレジュメを暗記してくると、予告問題についてはそこそこ項目を列挙することができた。そのかわり、レジュメを暗記していない問題が出されると、書くべき項目が何も浮かばず、ほとんど論文の体をなさない答案にしかならなかった。
4.多枝挑戦期(受験1回目)
 私が受験を開始した平成8年には、多枝の想定ボーダーは勢い38点~39点(50点満点中)のレベルにまで跳ね上がっていた。前年までは35点程度のボーダーと聞いていたので、受験1年目は35点(つまり合格最低点)をとることを目標としていた。実際に初学の頃は条文知識の吸収が早く、受験1回目は自己採点で35点であった。しかし多枝終了後、受験機関の予想ボーダーが39点だと知って愕然とした。この頃から多枝のボーダーがハイレベルとなり、この後も4年連続してボーダーの壁にぶつかることになる。
5.中だるみ期(受験2~4回目)
 1回目の受験直前にメーカーから特許事務所に転職していた。今考えれば、自分の受験環境にとってあまりいい選択ではなかった。事務所の経営方針にもよるが、一般的に事務所ではある程度の売り上げを確保できないと、いずれ解雇の対象となる。実務初心者のころは明細書の生産効率が悪く、思うように売り上げが伸びないため、とても受験勉強どころではなかった。
 また、この時期は仕事以外の生活面でもあまり受験勉強に専念できる環境になく、受験機関の講座や論文答練、模試などには一切参加できなかった。この時期、自分が受験生として参加していたのは週1回の私ゼミだけである。この私ゼミでさえも仕事が忙いことを理由に欠席しがちであった。加えて平成8年、10年、11年と法改正が続き、これらの内容についていくのがやっとの状況であった。
 この期間は、毎年準備不足のまま何とか多枝試験を受けるだけであり、地力で30点程度はとれるものの、それ以上の点の積み上げはできなかった。圧倒的に勉強時間の不足である。また、論文についてはほとんど何も勉強しておらず、この頃の自分にとって最終合格など遠い先の話のように思えた。毎年発表される論文本試験の問題を見ても、もし自分が受けたとして合格答案を書けるという自信は全くなかった。このため受験2~4回目の頃は半分あきらめの時期でもあった。
 また事務所内では、何回受けても多枝にも合格しない自分に対する周囲の反応は冷ややかに感じられた(あくまで主観であるが)。ただし、仕事の実力はある程度伸びていたため、仕事上での不安はなくなっていた。
6.再起・本格挑戦期(受験5回目)
 仕事ではある程度の自信がついてきたため、再起して受験勉強に挑戦することにした。そして平成12年1月から受験機関の基礎答練を受講した。これが自分にとって4年ぶりに参加する答練会である。私はこれまでレジュメを暗記したことがなく、基本問題についても基本書の知識だけで答案構成をしていたため、項目落ちや理由付けの不正確さが目立ち、いつも成績は悪かった。
 多枝答練や公開模試にも積極的に参加した。はじめて多枝の過去問を全てつぶし、条文レベルの問題を落とすことは少なくなった。この年、多枝の合格者が増加し、想定ボーダーは前年より低下して34~36点と見込まれた。自己採点では34点であったため、強い期待感を持って合格発表を見に行ったが、そこに自分の受験番号はなかった。
 すぐに敗因の分析に取りかかった。確かに条文レベルの問題を落とすことは少なくなっているが、それ以上の点の積み上げをするには、より細部に至る条文の正確な知識が必要であることがわかった。また、知識が曖昧であるためケアレスミスをし、2~3点損をしていることがわかった。


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